【 田子弁 】 辞書を作るにあたって…。

哆胡神社

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 「 田子弁 ( たごべん ) 」 とは、静岡県賀茂郡西伊豆町にある 「 田子 」 地区で使われる方言です。田子というと青森県の 「 田子 ( たっこ ) 」 町がニンニクで有名ですが、伊豆の田子も鰹漁が盛んだったこともあり、往時は鰹の水揚げ高は日本一を誇ったほどでした。今でも鰹節の生産では、昔ながらの製法によって美味しくて安全な………話を元に戻しましょう。つまり、なんですか、田子弁といっても青森の方言ではないので、その辺、お間違いのないように。
 
 面白いことに伊豆という地域の方言は、町によって大きく異なる傾向があります。どんな地方でもあることかもしれませんが、私の所感では、伊豆は特にその傾向が強いように思います。それは、伊豆が歴史的にみて、政治犯 *1 の流罪地に使われていたことや、故永岡治氏の 「 伊豆水軍物語 *2 」 にあるように、東海沿岸が太古から 「 黒潮文化圏 」 と呼ばれる生活圏を形成し、海人族がたがいに船で往き来していたことで多くの言葉が流入し、伊豆独特の方言を形成していいったのではないかと思います。
 
  「 伊豆水軍物語 」 に、「 伊豆はとくに紀伊半島 ( 熊野 ) との結びつきが強く…… 」 ともありますが、伊豆の方言、特に田子弁に関西地方の名残りがあるのもうなづけます。こうした歴史的背景を、今の時代に色濃く残しているように思えるのが、西伊豆にある 「 田子 」 という地域です。田子は、前述したように漁業で栄えた地域で、国際連合海洋法条約 *3 の排他的経済水域 *4 が叫ばれるようになるまでは、田子全体がたいへん活気に溢れていました。私の父が船長を務めた船は、最盛時には排水量 300t になり、ニュージーランド沖まで鰹を追いかけていたものです。
 
 漁業さえしていれば、地域は活性化すると思えた田子ですから、他の産業には手を出さず———というか、地形が農業に適していなかった———近隣の地域との交流も少なかったのですが、常時不足気味の漁業従事者を獲得するために、全国から優秀な人材をスカウト———私の母も孤児で、幼少時に小田原から引き取られてきました。女手も足りなかったわけです———していました。そうした歴史が、田子という地域の方言を、伊豆の中でもさらに特殊なものにしていったのではないでしょうか。
 
 私は 15 歳で田子を離れ、50 歳を目の前にして—-期間限定ではありますが—-西伊豆に帰ってきています。そして久しぶりに故郷の言葉を耳にして、「 田子弁辞書 」 なるものを作ってみようと思い立ちました。ただ単に辞書化するのでは芸が無いと思いましたので、田子弁に纏わるコラムも同時に掲載していこうと思っています。

*1 藤原良継、氷上川継、長野女王、橘逸勢、文室宮田麻呂、伴善男、源光清、藤原実政、仁寛、藤原隆長、源頼朝、源通家、山木兼隆、文覚、忠快、高階泰経、難波頼経、日蓮 - Wikipedia 流罪より

*2 永岡治 ( 2009 年没 ) 氏が著された伊豆水軍の書籍。最新のものに、伊豆水軍 ( 静新新書 ) がある。

*3 1967年の第二次国連海洋法会議でマルタ共和国の国連大使パルドー博士が提唱し、1982年のジャマイカのモンテゴ・ベイの第3次国際連合海洋法会議で作成され国連総会で採択された条約で、1994年に発効した。日本は1983年に署名し1996年に批准した(平成8年7月12日条約第6号)。 - Wikipedia 海洋法に関する国際連合条約より

*4 排他的経済水域(はいたてきけいざいすいいき、exclusive economic zone; EEZ)とは、国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域のことを指す。沿岸国は国連海洋法条約に基づいた国内法を制定することで自国の沿岸から200海里(約370km<1海里=1,852m>)の範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得られる。その代わりに、資源の管理や海洋汚染防止の義務を負う。 - Wikipedia 排他的経済水域より