働きバチ理論

 つい最近、自身の組織論が少しだけ体系化できてきたように思う。なんだか偉そうな書きかただが、なんとなく言葉にできるようになったのだから、まぁいいじゃない。
 
 俺は常々、コンサルする企業の社員には、「自分のために働け。それが会社へのロイヤリティにつながる」と言ってきた。もちろん今でもそう思っている。
 
 「自分のために働け」というと、いまどきの若い社員は「はぁ?」と感じるようだ。その「はぁ?」には、三通りの「?」がある。ひとつは「もちろん自分のために働いてますよ。でもそれがロイヤリティにつながるとは思えない」で、ふたつめは「自分のためにって言ったって、やりたくない仕事でもやらなけりゃならないじゃん」だ。

 
 最後のひとつは、「個人主義では会社はなりたたないんだから、まずは会社のために働かなけりゃダメ」という、いまどきいるんだっていうくらい真面目な若者の「はぁ?」だ。
 
 タイトルの「働きバチ理論」ってのは、冒頭に書いたほど、つまりなんだ、まだその本質を文章にできるほどは体系化できてないんだけどね、最近、前出の若者の「はぁ?」に出会ったとき、「働きバチは働きたくて働いてると思うか? 女王バチにロイヤリティを感じてるから働いてるのか?」と聞くようにしている。なんのことはない。奴らハチは本能で働いてる、いや、動いてるだけなんだ。モノを食べ、時期がきたらセックスをするように、花の蜜を集めてるだけなんだ。でもそれで奴らはいいんだ。苦労とも幸せとも感じていない。ただただ生きてるんだな。ただただ生きると、ハチの巣は存続できるというわけなんだな。でも全部の働きバチが働いてるわけじゃなく、約8割は遊んでいるっていう事実も見逃しちゃダメなんだよね。
 
 人間は昆虫じゃないからそうじゃいけない……と、俺は思わない。人間も本能で働ける、またはサボれる生き物だと思っている。というか、本能で働き、そしてサボってきたはずだ。自分のために。それがひいては家族のため、会社のため、国家のためにつながっていた。たとえサボっていても組織に属しているってだけでね。そしてそれが幸せだったはずだ。
 
 社会性をもった動物はみんなそうでしょ。ただ人間だけは経営側に限らず労働者も余剰利益を求めるようになったんで、むずかしく考えるようになったんじゃないかな。この点を書いていくと際限がなくなるのでやめておく。というか、俺がこれから体系化したい組織論は、こんな小難しいことじゃないんだな。
 
 現代人が働くことにモチベーションを持てなくなってきている理由は、きっと本当はもっと簡単なことのように思う。そしてもっとプリミティブだとも思う。それは、単に、自身の本音を自身で聞こうとしなくなったからなんだろうな。