あなた(経営者)は憧れている経営者がいますか?

 最近の会社経営者の方々と話をしていると、気が付くことがいくつかあります。そのうちのひとつが、「憧れている人または経営者」がいない経営者が多いということ。
 
 以前の経営者(昭和一桁生まれの方)に取材をしたことが───もちろん経営を取材するくらいですから成功している人です───仕事がら何回もあるのですが、そういう方たちには必ずと言っていいほど憧れている人、または経営者がいました。松下幸之助さんや本田宗一郎さんなどの経営者であったり、戦国武将や思想家であったりと、その憧れの対象を眺めると、ビジネス以外の成果を残した方たちが多く含まれるようです。
 
 私はそうした経営者の方々に、「尊敬する人はいますか?」とは質問しません。あくまでも「憧れている人はいますか?」と伺います。「憧れる」ということは、その対象のように「なりたいですか?」と同意義だと思っているからです。そうした意味は尊敬よりも憧れの方が強いように思えます。もちろん成功している経営者の方々であれば、私が意図することを理解してくれた上で、憧れの対象を語ってくれます。そうした経営者の方々の会社は、間違いなく、憧れの対象が経営した会社に、規模の大小、業種の違いはあれど、近づいていたように見受けられました。
 
 憧れているのであれば、その対象のビジネス上の業績だけではなく、ビジネスとは直接関係のない人生観や哲学にも影響を受けるはずです。いや、受けなければ意味がないのです。ビジネスの業績だけだと、その人の本当の苦労は分からないからです。その人の築いた組織がどんなものだったのか、その組織を作る上でどんなことに思い悩んだのかが重要だと思うのです。組織を築く上では、そのトップリーダーの人生観や哲学が、組織の性格に大きく関与しますから、組織作りに成功した人の人生観や哲学を知っておくことで、自分の会社作りのヒントになる、というか、まず失敗しない組織作りができると思うのです。
 
 憧れている対象がある経営者は、経営が行き詰ったとき、苦しいときにこそ、憧れの対象のことを思い出すでしょう。この苦境を乗り越えるには、松下さんなら、本田さんなら、徳川家康ならどうしただろうか。些細なことですが、過去の事例を思い起こせる人は、独りよがりの方法論を採ることもなく、俯瞰で苦境とという事象を捉えることができるはずなので、特に大きな失敗はしないものです。
 
 また、憧れている対象がある経営者は、成功するにしても、その成果が自分ため、自分の会社のためだけといった、ひとりよがりのものになることはありません。まぁ、ホリ○モンとか、「もの言う株主」がどうたらこうたらと言っていた村○氏のような経営者が憧れの対象であるとしたら、成果も利己的になるかもしれませんが。
 
 自分の会社なんだから、自分の利益を追求するのが当たり前じゃないか!と噛みついてくる経営者もいますが、そういう人は個人経営でもしていなさい。組織は絶対に作っちゃいけません。また、若い人は、そういう経営者の会社には絶対に入社してはいけません。
 
 そういえば、最近ホ○エモンが「不況の今、会社なんか入るよりも起業しろ」とかのたまっていたようですが、どんなに優秀なビジネスの才があろうと、まともな企業が作れない人は起業しても企業を作ってはいけません。金儲けがうまいだけの人は、個人経営していればいいんです。そういう人が企業を作ると世の中の迷惑になります。企業を作るということは、社会に対する責任が伴うのですからね。他人の利益を顧みることができない人は、企業のトップの器じゃありません。
 
 話が横道にそれましたね。戻します。
 
 今の若い経営者の方々は、なぜ「憧れている人」がいないのでしょう。その理由は想像するしかありませんが、「憧れる」ということが「カッコ悪い」とでも思っているのでしょうか。確かにスマートではないでしょうね。荒れ地を切り拓いたパイオニアである人に憧れる気持ちがあるとすれば、自分も荒れ地を切り拓くパイオニアでありたいと思うわけで、そのパイオニアになろうと思っている自分には、それ以前のパイオニアである「憧れの対象」なんかいらないと、だって、自分自身がパイオニアなんだから、と、まぁ、こう思い至るのではないでしょうか。まぁ、スマートに生きたいということだけ人一倍強く思っている人は、あまりビジネスで成功はしないと思いますよ。なぜならそれは失敗を恐れていることにもつながるからです。松下さんだって、本田さんだって失敗の連続だったわけで、その失敗を乗り越えるときに、先達の失敗談に思いを馳せたわけです。まぁ、「憧れの人」のことを素直に語れない人には成功はないと思いますね。
 
 かくいう私は本田宗一郎さんのことが幼少より大好きでした。今も憧れています。憧れれば憧れるほど、本田さんがどう生きてきたのかに興味がわきますから、当然のごとくパートナーだった藤沢武夫さんのことが気になってくるわけです。そうして藤沢さんのことを調べまくっていけば、「ああ、本田さんは藤沢さんが光らせていただんだ」ということに気づきます。こうなると、もう本田さんと同じくらい藤沢さんの方により憧れてしまうわけです。
 
 もちろん、本や映像で語られる本田さんや藤沢さんのことは、彼らの一面に過ぎません。そして 50 にもなろうという男に、その一面だけで彼らのすべてと捉えるほどの愚直さもありません。逆に、50 にもなろうとすれば、その一面に語られていない彼らの人としてのマイナス面にも思いを馳せることができるようになるものです。もちろん、彼らをこき下ろすための思いではなく、成功の裏側にある人としての苦労を垣間見るためです。
 
 私が憧れている過去に成功した経営者の方々は、必ず自分なりの「哲学」を持っていました。その哲学が社員に、そして社会に広く受け入れられるものだったから、彼らはビジネスはもちろん、それ以外でも成功できたのではないでしょうか。その「哲学」が社員に広く浸透していれば、会社が苦しいときに多くを語る必要はないわけです。そしてその「哲学」が会社以外でも、社会にとっても有益なものであれば、その会社は社会にとって必要な企業なわけですから、まず潰れにくい会社になれる要素を持っていることになります。
 
 本田技研工業が、過去何度も倒産しそうになったとき、そのトップである本田氏と藤沢氏が信頼できるという理由だけで融資した三菱銀行(当時)があったように、広く社会に認められる哲学と、それに伴う努力と行動、そして商品があれば、窮地の際は必ず周囲の協力が得られるものだと思います。どんなに商品が良くても、そのトップに哲学がないと、会社が窮地のときには買収されるのが関の山でしょう。逆に広く認められる哲学があれば、簡単にトップを外すことはできません。
 
 なんだかまとまりの悪い文章になってしまい、これをアップするのはどうかなとも思いましたが、まぁいいんです。これが私の文章ですから。最後に無理やりまとめると、憧れの対象があるということは、その対象が持っていた哲学に影響されるということですから、自分自身にも少なからず哲学があるということになります。その哲学があれば、協力してくれる人たちが少しずつでも増えてくると思います。自身の哲学に共感した協力者がいるのであれば、そう簡単に会社経営に失敗はしないでしょう。その協力者とは、本来、あなたの会社の社員であるはずなのですが、どうですか?
 
 あなたは、社員にとって「憧れの経営者」ですか?

 
 

得手に帆あげて―本田宗一郎の人生哲学 松明(たいまつ)は自分の手で