魂の道具

 「感情は魂の道具」であるとは、俺の知人がよく口にしていた言葉。元の言葉は、故・松下幸之助氏が師と仰いだ故・中村天風氏の「心も体も生きるための道具…」から来ているのだろう。
 
 まったくもってその通りだと思う。心と体、そして感情は、生きていくための道具であって、その逆になってはいけないという戒めだ。つまり、悩み、怒り、謗り、妬みなどは、心に使われている結果であって、よりよく生きていくための妨げにしかならない。心、感情に振りまわれてはいけないぞ、ということだ。

 
 俺は短気だし - コンサルした企業の社員は不思議がるが - 感情がすぐ表面に出てしまうタイプだが、ビジネスの上で感情に振り回されることは少ない方だ。もちろんゼロじゃない。
 
 今回も、道義を貫き通すべきだと、後先考えずに行動した結果、特定の人に迷惑をかけた。反省しきり、当人にも謝った。
 
 俺の昔をよく知る知人は、俺が謝るところを見たことがないなどと言うが、自分が間違っていたとはっきりわかったときには、俺は平身低頭にして謝ります。
 
 しかしながら俺が自分の信念を貫いた相手は俺が憎いらしく、未だに感情に振り回されているらしい。「感情は魂の道具である」と平素言っていた本人なのだが、すっかりその言葉の意味を忘れているらしい。それとなく諭してあげたいが、俺が憎いがためにとりつく島も無いので難しい。別の知人を頼んで話をしてもらおうと思ったが、その知人にも薮田関係者には会いたくないといって拒否する始末。
 
 悲しいものだが、仕方が無い。俺が憎いのはわかるが、俺の知人は何も憎まれる筋合いはない。そんなことをしていると、いつかはアガサ・クリスティの小説のタイトルになっちゃいますよ。もしこのブログを - まぁ読むはずもないけど - 読んだら、俺以外の人には優しくしてあげてください。