八王子に移り住み、すでに一年以上が過ぎた。新しい仕事のスタイルにも慣れ、ここ1、2ヶ月は八王子近辺のロケハンもわずかながら始めることができている。そのロケハンも功を奏して、初雪の陣馬高原にも昇り「 雪樹 」の写真が撮れたし、高尾梅郷の木下梅林でも撮影できた。そして今日の夕方は、ずっと気になっていた八王子城跡にロケハンで行ってきた。
八王子城跡は、北条氏の三代目当主、氏康の次男の北条氏照によって築かれた山城、八王子城の遺跡。以下は「 八王子城跡ボランティアガイドの会 」さんの Web サイトから引用。
八王子城は、戦国時代の末期に小田原に本拠をおき関東に覇権をもった北条氏の三代目当主、氏康の次男の北条氏照によって築かれた山城です。< 中略 >築城の時期は戦国の末期、天正十年( 1582 )から十五年( 1587 )と考えられています。< 中略 >天下統一をめざす豊臣秀吉は天正十八年( 1590 )三月、大軍を率いて小田原に向かい、四月には北条勢が立てこもる小田原城を包囲しました。一方、前田利家と上杉景勝らが率いる北国勢は信濃から上州へ攻め込み、北条方の諸城を落としながら南下し、氏照の弟、北条氏邦の居城の鉢形城( 埼玉県寄居 )も攻略しています。さらに秀吉による強い指示を受けた北国勢は八王子城に迫って来ました。このとき氏照とその精鋭部隊は小田原城に援軍中でした。六月二十三日( 旧暦 )、北国勢による大軍の猛攻を受け八王子城は一日にして落城しました( 西暦では7月24日 )。
<八王子城跡 Web サイトより>
八王子城跡の脇には、天然のお堀とされる清流の城山川が流れている。本来はこの川を一度渡り、川を右手に見ながらの道が観覧ルートらしいのだが、御主殿跡に架かる曳橋が老朽化(?)のためか、2013 年秋より通行止めになっていて、現時点では川を左に見ながらの旧道を辿ることになる。
旧道を5、6分歩くと、目の前に曳橋、右手に御主殿跡が見えてくる。曳き橋の下、城山川には「 御主殿の滝 」がある。ここは、八王子城が前田利家、上杉景勝の連合軍に攻め入られた際、北条側の女性達が自刃して身を投げた滝だそうだ。そばには供養のためか、卒塔婆が何本も立てられていた。こうした背景があるためか、八王子城跡はその筋のマニアから心霊スポットに指定されているらしい。僕はその筋のマニアではないが、ここで断言しておこう。ここにはいません。僕がここを訪れたのは3月 31 日の夕方5時過ぎから6時過ぎまでの1時間ほど。他には誰一人いなかったし、そして誰一人どこからも現れなかった。ちなみに僕は身延山大本願尼の孫であり、なんの役にも立たないのだが、幼少より見る能力を持っている。つい最近も高円寺のラーメン屋で一人見た。(笑) まぁそんなことはどうでもいいのだが、いずれにしてもこういう大切な遺跡をくだらないスポットとして汚して欲しくないものだ。